横浜地方裁判所川崎支部 昭和34年(ワ)173号 判決 1963年4月26日
判 決
川崎市元木五五番地
原告
佐藤三郎
右訴訟代理人弁護士
畠山国重
右同
錦織懐徳
同市元木五四番地
被告
佐藤敏男
右同所
被告
元木工業株式会社
右代表者代表取締役
佐藤敏男
右同所
被告
元木木工株式会社
右代表者代表取締役
佐藤敏男
同
杉山勤
右被告三名訴訟代理人弁護士
植田徳市
右当事者間の標記請求訴訟事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告に対し、被告佐藤敏男は金二〇万円、同被告及び被告元木木工株式会社は連帯して金二〇万円を支払え。
原告その余の各請求は、いずれもこれを棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を被告佐藤敏男及び被告元木木工株式会社の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は第一項にかぎり、原告において被告佐藤敏男に対し金一〇万円、被告会社に対し金五万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
事実
第一、当事者双方の申立
一、原告訴訟代理人は
(1) 被告佐藤敏男、同元木木工株式会社は原告肩書住所々在の原告の宅地内に五〇ホン以上の音量を侵入させてはならない。
(2) 被告元木木工業株式会社は昭和三〇年一一月一日以降同三三年一二月末日まで、被告佐藤敏男は昭和二九年七月一日以降、被告元木木工株式会社は昭和三四年一月一日以降それぞれ前項の音量差止に至るまで、原告に対し各自一ケ月金一五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は被告らの負担とする。
旨の判決並びに仮執行の宣言を求めた。
二、被告ら訴訟代理人は
(1) 原告の各請求をいずれも棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
旨の判決を求めた。
第二、請求の原因
一、被告佐藤敏男(以下単に被告佐藤と略称する。)は別紙目録記載建物(以下単に本件工場と略称する)の所有者であつて、被告元木工業株式会社(以下単に被告元木工業と略称する。)被告元木木工株式会社(以下単に被告元木木工と略称する。)は右建物を使用し数馬力の動力を用いて製材事業を営む会社である。
二、原告は昭和二六年三月以降被告らとは巾約四メートルの公道をはさんで対面する地位にある肩書住所に土地建物を所有し、妻子とともに居住し、鈴江組倉庫株式会社山下埠頭倉庫の守衛として勤務しているものである。
三、本件川崎市元木地区は昭和九年復興院告示一〇五号を以つて商業地区に指定され、次いで昭和二一年八月二六日住居地区に指定されたものであり、動力を使用する右の如き製材工場建物は建築基準法第四九条第一項、同法別表第一の二号及び三号の(五)により住居の安寧を害するおそれがない場合、又は公益上やむを得ない場合を除き建築を許されないものである。
四、然るに被告佐藤は無暴にも私益を図る目的を以つて、昭和二七年三月頃それ迄有した約五〇坪の建物中南側約二〇坪をとり壊してその敷地を訴外東和製作所に貸与して同製作所に金属加工工場を建てさせ、昭和二九年五月頃には残部のバラツク建物約三〇坪をとり壊し、自ら新たに約八〇坪の亜鉛葺製材工場を造り、ここに動力並に製材機械を設備して製材事業を始め、昭和三一年九月には約二〇坪の二階建建物を増築し、更に昭和三二年三月頃には二〇坪を増築している。
被告佐藤は昭和三〇年一〇月八日右製材事業を会社組織として被告元木工業(旧商号元木木材工業株式会社)を設立し、昭和三三年一二月四日には被告元木木工を設立し、共に益々盛んに製材事業を営み、その製材作業は毎日早朝より夜間に至る迄連続し、そのガアガアキイキイという騒音は周辺に鳴り響き、その騒音の為原告を含む附近居住者は日常の会話すら困難を来たし特に病気中又は夏季は耐えがたき苦痛を蒙り、為に附近を立退く者さえ出ている状況である。
五、原告は昭和三〇年以降近隣の者を代表し川崎市建築課に之が是正措置を懇請し昭和三一年五月頃には神奈川県知事宛陳情書を提出して右作業の防音等を要請していたが、被告佐藤、同元木工業は昭和三三年六月五日原告に対し(1)右建物の外壁は亜鉛張り二重戸を取りつけその外側に軒下迄高さ一三尺の板塀を二重にしてその中間におが屑を詰め込み騒音を防ぐ、(2)基礎工事を完全にし機械の動揺を防ぎ地響を防ぐ、(3)三方鉋に防音装置を施すと共に風車を取りつけ音響を屋根上に放抜せしめる、各工事を施工し、且つ原告の要求に応じ工事の細部に留意し騒音防止に万全を期する旨約したものである。
六、然るに、同被告らはその後再三原告の要求にも拘らず前記約旨を履行せず全く誠意がないので原告は昭和三三年九月一二日川崎市建築審査会に建築基準法により右建物に対する異議の申立をしたが同審査会は騒音の是正方斡旋するからと称して右申立書の取下を勧めたので原告は一度之を取下げたところ、被告佐藤において工場の原告方に面する部分に薄いモルタル塗を施したに過ぎず騒音防止にはさしたる効果なく、騒音防止の措置に誠意が認められないので原告は昭和三四年一月二七日再び右審査会に異議申立をしたところ同会は右建物は建築基準法に違反しているが大部分は違反でないとして右申立を却下し、原告は右裁定に対し建設大臣に訴願の申立をなした。
その間も、前述の如く被告元木木工が設立され益々盛んに騒音を出して作業が行われている。
七、このようにして、右工場における被告らの製作事業より発せられる音量は原告の宅地境界において六五ホンに及び昼夜の別なく発せられる右騒音によつて原告の身心に加えられる苦痛は正に言語に絶するものがあり、原告は遂に右騒音のため神経衰弱となり通院加療しており、守衛の仕事にも支障を来たすに至つている状況にある。
東京都の騒音防止条例施行規則第三条によれば、東京都においては、住宅地において許される音量は五五ホンに過ぎない。神奈川県においても許容さるべき音量の範囲は同様に解すべく、住宅地においては右音量を超える騒音は許されない。
従つて、右基準量を超える騒音を発する工場建物の設置及び被告らのこの工場における製材事業の継続は原告の身心に加えられる不法行為というべきである。
八、よつて、原告は被告元木木工に対し、右五〇ホン以上の音量が原告の宅地内に侵入することの差止及び右不法行為によつて原告の蒙り、かつ右音量差止に至るまで蒙るべき精神的苦痛に対する慰謝料として一ケ月金一五、〇〇〇円の割合による損害賠償の支払を求め、被告元木工業に対しては昭和三〇年一一月一日以降昭和三三年一二月末日まで本件工場において製材事業を行つていた期間中慰謝料として前記割合による金額の損害賠償の支払を求める。
被告佐藤に対しては、(1)本件工場を住宅地域に建築したことにおいて工作物設置の瑕疵があり、かりにその点に瑕疵がなかつたとしても製材工場として使用する以上相当の防音設備を設置すべきにかかわらず、これを設置していないことにおいて本件工場の設置に瑕疵があるといえるから、工作物の所有者として工作物設置の瑕疵責任として、または(2)昭和二九年六月頃から昭和三〇年一〇月七日までは被告佐藤が個人で前述のとおりの状況において防音措置を講せずに製材業を営んでいたことによる個人の不法行為責任として、さらに(3)同人は昭和三〇年一〇月八日被告元木工業を設立し、昭和三三年一二月四日被告元木木工を設立し、もつて従来の個人企業を会社組織となし、かつ、右被告会社の代表者となり、同人所有の本件工場を被告会社らに使用させ、本件工場における製材事業経営の中心にあつて自ら被告会社の事業の遂行にあたりかつ現にあたつているものであるから右被告会社が本件工場において製材事業継続の期間中は被告会社の代表取締役として、あるいは被告会社との共同不法行為責任として原告に対し音量の差止をなし、かつ、被告会社の事業継続期間中、被告会社が原告に蒙らした損害について、被告会社と連帯して損害賠償の義務がある。
よつて請求の趣旨のとおりの裁判を求める。
第三、被告の答弁
一、原告主張の請求原因一の事実中、被告佐藤が原告主張の本件工場を所有し、被告会社らが本件工場を使用し、動力を用いて製材事業を営んでいること、同二の事実中、原告がその主張の場所に居住していること、同四の事実中被告会社がそれぞれ原告主張の頃設立されたことは認め、その余の事実は全部争う。
二、被告佐藤は原告主張のバラツク、もと八〇坪あつた建物の二〇坪を取壊し、また五〇坪を取壊し、四〇坪の建物を造つた。
また、製材業は本件土地において被告佐藤の先代が昭和二一年頃より営んでいたものである。
三、すなわち被告佐藤の父留之助は昭和二一年六月頃より本件場所において木造平家建七〇坪の建物を所有して製材工場を始め、(一)同年七月一日神奈川県営第一五六五号を以て許可せられ、(二)昭和二五年七月一五日留之助が死亡したので敏男は父の業を続けて来た。(三)昭和二九年五月川崎市長に対し作業場改築許可申請をなし、同年六月一一日附を以て第二三七八号を以て確認許可せられ、(四)昭和三〇年一一月川崎市長に対し増築計画申請を為し同年一二月一日附を以て建築基準法施行令第一三〇条の規定により第四九八一号を以て確認済許可せられて今日に至るまで業務を続け、(五)昭和三三年一二月四日被告元木木工が設立されて後は同会社が製材事業を行つている。
四、被告元木工業は本件工場において製材業に従事しているものではないから原告主張の音響とは関係がないから同被告に対する原告の本訴請求は理由がない。
五、その余の被告らに対する原告の本訴請求も以下諸般の事情を考慮すると理由がないものとすべきである。
(一) 被告佐藤及びその先代は第三項にのべたとおり昭和二一年以来電気動力を使用して製材業を営んでいるのであるが、原告は昭和二六年本件工場の隣に家屋を新築し移転して来たのであつて被告工場より流れる騒音はよく承知の上で住居と定められたものである。このことは事情として相当斟酌せらるべきものである。
(二) 原告は被告佐藤のなした本件工場の増築及改築等は建築基準法第四九条に違反するものとして川崎市建築審査会に異議の申立をなしたが同審査会は昭和三四年二月一四日原告の申立を理由なしとして棄却の裁定をなした。よつて原告は更に建設大臣に対し更に訴願を為したのであるが、これまた理由なしとして棄却された。これによつても本件工場における製材業務が法規により許されているものであることは明らかである。
(三) 被告らは原告の抗議により、従来百数十万円を投じて原告の被害防止に努力して来たのである。すなわち
(1) 原告は昭和二九年末頃音が高いと抗議をして来たので被告佐藤は費用約二五、〇〇〇円を支出して直ちに原告側に高さ一〇尺長さ四間半の板塀を設置した。
(2) 昭和三一年一二月原告からの抗議があつたので被告は川崎市役所及び神奈川県庁の各係員の指示と指導により(以下防音工事は総て市と県の各係員の指示と指導による)工場前面の高さ一三尺長さ九間の板塀を設置し、窓硝子を入れ出入口にはトタン張二重の扉を設けた。この費用に金一二五、〇〇〇円を支出した。
(3) 昭和三二年八月原告より機械が古いためがたが来て振動するのだから取換えるよう要求があつたので、被告佐藤は、従来四台の機械を一台のモーターにて回転していたのを基礎工事を全部やり直し各機械をモーターの直結となし振動を防ぐとともに三方鉋を取換えた。この費用に金五〇万円を支出した。
(4) 木材をきるときにおが屑が飛散して音響も増すことになるので昭和三六年八月重力による風車を利用して直径八寸長さ二〇尺の管におが屑を吸い取りこれを倉庫に導く設備をした。この費用金三八万円を要した。
(5) 従来本件工場への出入口は原告住居の玄関に向いていたが、原告から移転の要求があつたので昭和三三年一二月現在の処に移転し且つ前記(2)にのべた板塀を取外し全部高さ一三尺長さ九尺のモルタル塗壁となして音響の原告方に伝わるのを防いだのである。この費用に金一五万円を支出した。
(6) 昭和三五年二月神奈川県商工部長の検査を受け、その勧告と指示により、同年五月本件工場東南面の東亜製作所側が空いていては原告方に音響が伝わるのでトタン張及びガラスビニール張を為した。このため約四四、〇〇〇円を支出した。
(7) なお、同年七月二五日前項の勧告指示に従い、前述(5)のモルタル塗壁の内側をさらに三寸五分の間隔をもたせて板で覆い、この内外壁の間隔に吸音材としておが屑を充填し、騒音防止の工事をなしこの費用に約二一、〇〇〇円を支出した。
以上のように被告は神奈川県事業場公害防止条例に基く川崎市及び神奈川県当局の勧告と指示指導によつて約一三〇万円を投じて騒音防止の工事と装置を懸命に完成し、原告の蒙る被害を軽減ないし皆無に近からしむべく努力して来ているものであり、将来も同様である。
六、都会生活をなす場合は各種の悪意なき損害を蒙らしめられる場合が多く、殊に川崎市の如き工業都市に住居する場合は煤煙や騒音に悩まされる場合ははかり知れないものがある。そのうち被害の甚しいものについては、これを排除する方法を講ぜらるべきは勿論であるが、かかる都市生活をなす以上、或程度の被害はこれを忍受すべきものとすべきである。
加うるに前第三項ないし第五項記載の事情を斟酌するときは、本件製材工場の音響はなお原告の認容すべき範囲内であつて、被告らは原告に対し何等損害賠償義務を負うものではない。
第四、証拠≪省略≫
理由
第一、まず、被告佐藤及び被告元木木工に対する騒音差止並びに損害賠償各請求について判断する。
一、騷音の発生
(一) 被告佐藤が肩書住所にある本件工場を所有すること、被告元木木工が昭和三三年一二月四日設立されたこと、被告元木木工が本件工場において後記説示の機械設備を使用して製材の作業を行つていること及び原告が被告佐藤所有の本件工場と幅約四メートルの公道をはさんで対面する位置にある肩書住所に土地家屋を所有して居住していることは当事者間に争いがなく、第二回現場検証の結果によると現在本件工場の内の作業場の位置大きさが別紙添付図面(以下単に図面という。)のとおりであると、右図面の示す位置に三方鉋(一〇馬力)、自動鉋(一馬力)、昇降板(一馬力)、手押鉋(一馬力)、帯鋸(五馬力)、集塵器(五馬力)の機械及びそれに備え付けられたモーター各一台がそれぞれ設置されていること、及び原告居宅敷地の公道に接する境線には板塀が設けられ、板塀より南西方四、七メートル奥に原告居宅(二二坪)の玄関がありその奥に八畳、六畳、六畳の順に奥に部屋が並んでいることが認められる。
(二) 原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二五年頃その居宅の敷地を買い、同二六年三月頃その所有の家屋を建築し同年中に居住を始めたことが認められ、証人(省略)の各証言及び原被告各本人尋問の結果によると、昭和二六、七年頃には現在本件工場の作業場のあつた場所には現在より小規模の約四〇坪の作業場があつて、丸鋸(四二吋と一八吋各一台)帯鋸及び一〇馬力のモーター一台を設置し、被告佐藤の先代留之助の代から引続いて被告佐藤がトントン葺の製造を行つていたが、中間には一時自動車修理業やもやし製造をしたこともあり、右トントン葺製造も不定期的なもので、当時右機械の運転によつて発する作業音は、さして目立つものでもなく附近の住民から苦情を持込まれるということもなく過ぎていたことが認めらられる。
(三) (証拠―省略)によると、被告佐藤は昭和二九年六月もとの約四〇坪の作業場をこわして図面(イ)の部分の作業場五四坪に改築し、既存の六坪の作業場及び住宅事務所約二〇坪をあわせ約八〇坪となし、ここに帯鋸、自動鉋、昇降盤、三方鉋各一台と一〇馬力モーター並びに手押鉋一台を設置して、工員七、八人を使用して、製材加工の作業を日々継続して本格的に始め、この頃から右各機械、特に三方鉋の運転により騒音を発し、かつ、みじん紛(鉋屑の粉)が飛散するようになり、原告を含む近隣の住民からの騒音及びみじん粉に対する苦情が被告佐藤方に持込まれるようになつたことが認められる。
(四) 本件工場はその後、その細部の改築は後述するとして、(証拠―省略)によると、昭和三〇年一二月作業場及び二階約二〇坪(図面点線部分)が、同三二年五月及び昭和三四年一二月事務所及び住宅が遂次改築されて、図面のとおりの現在の規模の工場及び住宅となつたことが認められ、成立に争いのない第二号証並びに被告本人尋問の結果によれば被告元木木工は資本金一〇〇万円の木材の製材加工の請負及び右に附帯する一切の業務を目的とする株式会社であつて、昭和三三年一二月被告元木木工が設立されてからは、被告会社が被告佐藤から本件工場を賃借し、前述各機械設備を所有し、工員五、六人ないし、八人を使用して、前説示の各機械設備を運転して木材の製材及び加工の作業を継続して現在まで行い、右操業により後述のとおりの作業音を発していることを認めることができる。
二、騷音の音量と工場設備の推移
(証拠―省略)並びに弁論の全趣旨を綜合すると、昭和二九年七月以降本件工場の操業による音量及び本件工場の内部改造による音量の変化及び近隣の居住者に対する影響は次のとおりであつたことが認められる。
(一) 昭和二九年七月以降工場の図面(A)側(原告居住に面する側)及び(B)側(鈴木鉄治の事業所に面する側)は開放されていたため、工場の作業音、殊に三方鉋の運転による騒音はかなり高く周囲に響き、飛散するおが屑とともに、原告を含む近隣の居住者を悩まし始め、その頃騒音のため原告居宅内、玄関先での話合は高声で話さないと聞きとり難い程度であり、おが屑は時には玄関先に五寸位積つたこともある程で、殊に夏期は窓を開放するときはその被害は甚しかつた。そこで昭和三一年二、三月から原告が附近住民の代表となつて神奈川県の公害課及び川崎市建築課に対し、右騒音について陳情を続けた。その結果同年七、八月神奈川県工業試験所において本件工場の音量測定をしたところ、その音量は六八―七五ホンであつた。そこで神奈川県及び川崎市において本件工場に対し担当係官を派して公害防止の指導監督にのり出し、その指示指導により同年一二月頃被告佐藤は本件工場の(A)側入口に外側トタン張り、内側ベニヤ板の二重戸を設けその余の部分に塀をめぐらして原告居宅側を塞いだ。昭和三二年八月には原告からモーターの震動が激しいとの申入があり、被告は前説示の各機械に前記一(一)説示のとおりのモーターをそれぞれ直結した。機械が古いと音が高いということで三方鉋を新しくとりかえた。
(二) しかしながら作業音はさして低くならなかつたので、昭和三三年六月五日原告被告佐藤間に県と市の係官のあつせんにより工場の防音装置について協定が成立し、(1)被告佐藤は工場側に二重戸を設け、その外側に軒下まで一三尺の板塀を二重にし、その中間におが屑を詰込むこと、(2)基礎工事を完全にし、機械の動揺を防ぎ(3)三方鉋に防音装置を施するとともに風車をとりつけ音響を屋根に放散させること(4)右防音工事を同年七月中に行うことを約した。そこで、被告佐藤は昭和三三年一二月本件工場A側の北西角の巾三、六メートルの出入口を残しモルタル塗の壁とし、出入口には自由に取外し可能の二重トタン扉を設けた。その頃からおが屑は外部に飛散しないようになり、昭和三四年一二月頃モルタル壁の内側に板をはりその間におが屑をつめて防音壁とした。
(三) 被告は昭和三五年二月頃工場内部に集塵器と風車をとりつけたところ、かえつて騒音が高くなり原告の陳情により県の係官が同年二月音量測定をした結果原告居宅の玄関先において七二―七四ホン、境線において七三―七五ホンであつた。当時(B)側は開放されており、(A)側の出入口が多く開けられていたこと及び集塵器が騒音を高くする原因をなしていたので同年四月、県は被告に対し(1)B側の開放部分に壁をつけ窓ガラスを補修すること、(2)出入口は出来るだけ閉めること(3)(A)側の壁の内部に吸音材を張ること、(4)作業場が密閉される結果集塵器は必要となるが、騒音源にならないようモーター及び軸受等を柱から離し基礎に防裏ゴムを使用することを勧告し、昭和三五年一〇月にも県は騒音の調査を行つたところ、前と同様の音量が測定され、前記(4)と同じ趣旨及び排気口附近のダクトに吸音材を塗布するよう勧告が行われた。被告佐藤はこれらの指導勧告に応じ同年四月頃(A)側下部をビニールトタンの壁とし上部をガラス窓として(B)側をふさいだ。
その後同年六月中行われた第一回鑑定当時、三方鉋操業による原告居宅の境線におりるB特性測定器による騒音レベルは、その製材する木材の種類(杉、松、檜、ラワン)により最低七四ホンから最高七六ホンであつて、原告居宅内八畳の居間で最低六一ホン最高六六ホンであつた。
その後被告低藤は同年七月頃モルタル塗の一〇センチ位内側に板をはり、その間隔におが屑をつめ、昭和三六年一月中従前集塵器が二階にあつたため騒音及び震動源となつていたのを二階から階下に降ろし、かつ排気筒に防音塗料を塗布した。また同年はじめに作業場の大井大窓の(A)側を五分杉板をもつて塞ぎ、作業場(A)側出入口に金属製よろい戸を設け、各製材機械の基礎をコンクリートをもつて固めた。その頃工業試験所で音量測定をしたところ玄関先で七〇―七四ホン、居宅六畳の前庭の辺りで六〇―六三ホンであつた。
(四) 昭和三七年二月頃(A)側の出入口を(D)側に移し、(A)側の出入口を塞ぎモルタル塗の壁とし、その内部に板を張りその間におが屑を詰め、(B)側も昭和三六年一二月B側を巾六間高さ一二尺にわたりモルタル塗の壁とし、昭和三七年二月には(A)側同様おが屑をつめた防音壁とした。その後昭和三七年七月の第二鑑定当時の三方鉋の運転による音量は、前説示と同様B特性測定器による騒音レベルは境線において最低七九ホンから最高八二ホン、八畳間の内部で最低六三ホン、最高六七ホン、八畳間を閉めると最低五一ホンから最高五五ホンであつた。
(五) 本件工場内において作業の行われる時間は通常午前八時から午後五時三〇分までであつて、残業の行われるときにも午後六時までが多く、時に始業が午前七時になつたこと、終業が午後七時に及ぶこともあり、冬季午後九時、一〇時になつたこともあるが、最近は特別早朝夜間の操業は行われていない。
(六) しかしながら、被告元木木工は前説示の規模の工場であつて、製材工場としては小規模の企業に属し、製材工場として音響を外部に発散させないためには密閉した作業場の内部に採光、換気装置を設備する方法があるけれども被告会社程度の小企業の資力をもつてはそこまでの設備は期待し得ず、小企業に期待し得る程度の防音の対策は県と市の行政上の指導勧告に従つて被告会社において遅ればせながらほゞ行つてきた。
(七) なお、従来本件工場の作業に伴つて出入りするトラツクは、原告居宅前の道路に停車し木材の積下しを行うため、木材の落ちる震動、音響及びたち働く人々の話声などが本来の作業音に加わつて原告居宅に響いていたが、本件工場の出入口が(D)側に移されてからはこの状態も改善された。
以上の事実が認められる。
被告らは、原告が本件場所に移り住んで来る以前から現在同様に製材の作業を行つていたと主張するけれども被告本人尋問の結果中右主張にあう部分は信用できず、ほかに右事実を認めることのできる証拠はない。また、原告本人尋問の結果中被告らの工場の使用人が、原告に対しいやがらせに丸太を持つて追つかけたり、原告居宅前に故意に丸太を音を立てるように落す旨及び本件工場の作業は連日早朝から深夜に及んだ旨の供述はたやすく信用することができない。
三、損害賠償義務
原告本人尋問の結果によると、原告はもと警察官であつたが昭和二四年退職し、原告主張の会社の警備員となり、本件地域に指定されていることをよく調査した上、本件場所を終生の住居と定めて、住宅を建て、前記認定の頃移り住んだこと、原告は警備員としての職業上夜勤することが多く、夜勤の翌日は非番となつて昼間家で休息し睡眠をとらねばならない生活が続いているが、前記認定のとおりの日々本件工場の発する音害に悩まされ昼間睡眠をとることができず、時には映画館や公園神社のベンチでようやく眠るということさえあり、日常生活の不快、不眠と精神不安定のため医師に神経衰弱と診断されるに至り、現在では機械の運転が始つただけで運転中の機械の種類や製材の材質まであてられる程に音に対し敏感になつていることが認められ、本件工場の発する騒音により原告の生活の静穏は侵害され、かつ前説示のかんな屑の飛散により生活上の不快を味い、これらにより精神上の苦痛を蒙つていることが認められる。
ところで、被告らの製材工場の操業によつて、騒音、塵埃等を発散することは企業の性質上ある程度やむを得ないものであるから、そのため、他人の生活の静穏を侵害することがあつても、平均人の社会生活上一般に受忍すべき限度において違法性を欠くけれども、それが一般に受忍すべき限度を超えたときは違法となるものと解される。そこでまず、本件工場が昭和三三年一二月以前において時折原告居宅の玄関につもる程に飛散させていたおが屑については、一般的に社会生活上、不衛生かつ不快であることは明らかであるから受忍すべき限度を超えていたものと認められるけれども、つぎに前記の音量が一般社会生活上受忍すべき程度を超えているかどうかについて判断しなければならない。
この受忍すべき音量の程度をきめる基準としては、行政上の取締規定のほか、地域の特殊性をも斟酌し、本件地域における平均的生活を基準として社会通念により決すべきものと解する。
(証拠―省略)並びに弁論の全趣旨によれば本件工場のある地域はもと都市計画法による地域指定は商業地域となつていたが昭和二一年八月二六日住宅地域に指定変更されたこと、当地方の公害取締規定としては神奈川県事業場公害防止条例(昭和二六年一三月二八日神奈川県条例第七八号)同施行規則、及び川崎市公害防止条例(昭和三五年一二月二四日川崎市条例第三二号)同施行規則があるが、これらの条例中には騒音の定義として一定の制限音量の基準を定めたものはなく、県条例第二条には「公害」とは事業場から発生する騒音、振動、ばい煙、粉じん、廃液、ガス等により人、又は物に与える障害であつて、知事が神奈川県事業場公害審査委員会に諮問して除去を必要且つ適切と認めたものをいう、と規定し市条例第二条も市長が川崎市公害審査委員会に諮問するほかは同一の規定をしており、ただ横浜市においては拡声放送その他人声、楽器、ラジオ等の騒音に関する横浜市騒音防止条例(昭和二八年八月五日条例第三二号)において音量を音源から一〇メートルの場所で暗騒音(その附近で自然の状態の平均音)より一〇ホン以下に制限する旨の規定(第五条があること。このように川崎市においては事業場の作業音について音量制限を一画的に定めた制限規定はないので、行政上の指導監督官は適宜東京都、大阪市の取締規定を参考とし、地域の状況を考慮して指導にあたつていることが認められ、また、東京都の騒音防止に関する条例(昭和二九年一月東京都条例第一号)及び同条例施行細則によれば住宅地域における音量の基準は午前八時から午後七時まで五五ホン、午前六時から午前八時まで及び午後一一時まで五〇ホン、商業地域、準工業地域及び工業地域は昼間六〇―夜間五五ホンと定められており、大阪市においては住宅地域においても昼間六〇―夜間五〇ホンを基準としているため、神奈川県及び川崎市の公害防止の指導担当官は地域の状況に応じ五〇―六〇ホンを指導の基準としていたことが認められ、本件工場についてはむしろ右のうち高い方、すなわち東京都の商業地域の基準を一応の指導の基準としていたことが推認できる。
つぎに本件工場附近の地域の特殊をみると、第一ないし第三回現場検証の結果によると、本件工場は第一京浜国道より一〇〇メートル、市電バス道路から約一〇〇メートル入つた地点に所在し、南東五〇メートル附近には数百坪の空地もあるが工場西側(別紙図面(イ)部分)には被告元木工業の作業場で旋盤機械数台を運転し工具製造を行い、本件工場北側の公道をへだてて(ハ)′にはエンジン修理工場その工場よりやゝ離れて(ハ)″は自動車修理工場、本件工場(B)側の隣は鈴木鉄治経営の鉄工場、(C)側の隣は板金塗装を作業内容とする渡辺ボデー株式会社があるほか、附近にはアパート、寮、ほか個人の住宅も存在し、附近一帯はいわゆる中小の町工場と住宅とが入りまじつていること、本件工場の機械の運転を停止したときのいわゆる日中の暗騒音は、原告居宅内の玄関に近い八畳間において窓開放の場合五二ホンから五五ホン、閉鎖した場合四九ホンから五二ホンあることが認められ、川崎市は近時急速に発展してきたわが国有数の工業都市であつて市の東京湾沿岸及びそれに続く地域一帯には大中小の工場が密集し、そのためこれらの地帯に住む市民は多かれ少かれこれらの工場より発する煤煙、ガス、音響、震動によるいわゆる公害を蒙つていること、またその反面経済の発展、人口緻密に伴う生活上の利便や地価の高騰等の利益をも享受していることは当裁判所に顕著な事実である。
また証人(省略)の各証言によると本件工場のA側面及びB側面が塞がれて後は、本件工場のB側に住む鈴木、A側原告の隣に住む稲垣はいずれも最近においては本件工場の作業音を居住に耐えない程には感じていないことが認められる。
以上の事実を考えあせると午前八時より午後六時に至る間原告室内において開放して六〇ホン以上閉めきつてなおかつ五五ホン以上に達していた昭和三七年二月までの音量は受忍の程度を超えていたものと解すべきである。従つて、被告らは右受忍の程度を超える作業音の侵入によつて原告の被つた損害について賠償義務があるといえる。
原告はその受忍すべき限度を五〇ホンと主張するけれども本件地域の状況によりみてこれを基準と解し得ないことは前記説示により明らかであり、原告が屡々昼間睡眠をとる職業上の必要のあることは前記認定のとおりであり、原告が音に対し特異の感受性を有することは弁論の全趣旨により認められるけれども、右は特殊事情に属するものと考えられ、特殊の職業、感覚の持主と隣りあわせたということで、通常本件地域における平均的社会生活において忍受されていることことが特殊事情のために許されなくなるということは衡平は欠くから、右事情をもつて前記認定を左右する事情とは考えない。もつとも被告側が本件工場における製材事業の開始に当つて右の事情を知つていたとすれば、充分考慮の余地はあるとしても、被告らが原告側右の事情を予め知悉していたことを認めることのできる証拠は一つもない。従つて原告主張の程度にまで受忍すべき音量の限度を低くし、原告の蒙つた精神損害すべてにつき違法な侵害があつたものとすることはできない。
原告は原告の蒙つた損害は被告佐藤所有の本件工場の設置の瑕疵によるものであると主張するけれども原告の損害は建物内の機械の運転により音響、塵あいを発散したことによる損害であつて、建物自体あるいは機械施設瑕疵によるものとは認められないから民法第七一七条により施設の瑕疵を原因とする被告佐藤に対する請求は理由がない。
原告は本件工場が建築基準法の適用を誤つた違法な認可を経て建築せられた不法建築であるとし、それゆえに本件工場の作業音は原告の生活の静穏を侵害する違法行為であると主張するけれども建築許可手続の行政上の取締規定に関する適法不適法と右工場内における作業が他人に与える被害に対する責任とは元来別個の問題であつて、かりに本件工場の建築が行政上の取締規定に違反していなくても不法行為の責任を負うべき場合もあり、同様に違反する事実があつたとしても、それは行政上の取締規定の対象となるに過ぎず、それだけで直ちに本件工場における作業音が原告の生活の静穏を侵害する違法行為となるとはいえない。
しかしながら、被告佐藤は昭和二九年七月以降昭和三三年一一月まで、被告元木木工は同一二月以降昭和三七年二月まで前記認定のように本件工場の操業により音響及び飛散したおが屑により原告の生活の静穏を違法に侵害し、かつ右侵害は、被告らが同人らにとつて社会的経済的に期待し得る防音及び集塵設備を怠つた点に過失があるから、不法行為として原告の蒙つた損害を賠償する義務があるものと認められる。
然るときは原告は原告本人尋問の結果によれば昭和三七年八月現在満四八才であつて前説示の職業により月収金三四、〇〇〇円を得て妻及び未成年の子二人とともに生活していることが認められ、右事実に原告の蒙つた損害の程度被告らが県、市の指導により逐次防音設備をほどこしていつたことその他前記認定の一切の事情を斟酌すると、原告の精神的苦痛を慰謝するため被告佐藤は金二〇万円、被告元木木工は金二〇万円を支払うのが担当と解せられる。
また被告佐藤は被告元木木工の代表者であつて法人の不法行為は本来法人の機関の不法行為に因るものと考えられるところ、本件不法行為は結局、被告元木木工の代表者の一人たる被告佐藤が中心となつて前説示のような公害防止設備を怠つて被告会社の事業たる製材の作業を継続したことによるものであるから、代表取締役たる被告佐藤が被告元木木工の事業の執行にあつて損害を蒙らしたものとして被告佐藤の行為について民法第四四条により被告元木木工が責任を負うは前認定のとおりであるが代表者個人の責任も免れないから被告佐藤は代表取締役としてその職務の執行にあたり原告に与えた損害につき被告元木木工と連帯してその損害を賠償する義務がある。従つて被告佐藤は二九年七月より昭和三七年二月まで原告の蒙つた損害に対し原告に対し金四〇万円を支払うべく内二〇万円に被告元木木工と連帯して支払うべきものと認められる。
なお、昭和三七年二月以降の本件工場操業による騒音が原告において忍受すべき限度を超えたものと認めることのできる証拠がなく、証人三富政俊の証言によれば今後更に県の指導が継続的に行われることが認められ、及びその指導により事態はさらに改善されることが期待できるので、将来に亘つて本件工場が右忍受すべき程度を超える騒音を発することを前提とする原告の請求は理由がない。
よつて原告の本件損害賠償の請求は右認定の限度において理由があり、その余の請求は失当である。
四、音量差止
原告の本件音量差止を請求する根拠が不法行為を原因とするが、土地建物の所有権に基くものかは、さておき、本件工場より発する音響が現在原告の生活の静穏を耐えられないまでに侵害しているものとは認められないことは前説示により明らかであるからいずれの論拠に基くも五〇ホン以上の本件工場作業音の差止を求める請求の理由なきことは明らかである。
第二、被告元木工業に対する損害賠償の請求について判断する。
被告元木工業が昭和三〇年一〇月八日設立登録されたことは当事者間に争いがないけれども被告元木工業が原告主張の頃本件工場を使用して木材製材加工の作業を行つていたことを認めることのできる確たる証拠がない。もつとも甲第一号証には昭和三三年六月原告と防音設備に関する協定を被告元木工業がなしたように記載されているけれども被告本人尋問の結果によると当時本件工場を使用していたのは被告佐藤個人であつたこと、被告元木工業は当時から主として自動車部品の製造、工作機械の製作を主として行つていたことが認められるから、右記載によつてのみ原告の主張を認める資料とはなし得ない。
然るときは、被告元木工業が本件工業を使用して製材加工の作業を行つていたことを前提とする原告の請求は理由がないといわねばならない。
第三、結論
以上の認定により明らかなとおり、原告の本訴各請求は損害賠償につき前記認定の範囲において正当として認容すべく、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を各通用し、主文のとおり判決する。
横浜地方裁判所川崎支部
裁判官 野 田 愛 子